第1章 色のすること、家族。

 

TOMOWA(以下、T):あらためて、今回は、TOMOWAと一緒にお仕事していただくことになり、ありがとうございます。

 

植田志保(以下、U):ありがとうございます。

 

T:TOMOWAとしては、植田志保さんがもっと羽ばたくお手伝いができればといいなと。そしてお互いやりたいことを素直にまっすぐやっていければと思っています。

 

U:こちらこそよろしくお願いします。

 

T: 植田さんは長らく、色のすることと題して、創作活動をされています。わたしも対話描画In a Flowerscape で、自分の好きなことば、花の名前をもとに、その場で植田さんに絵を描いてもらったのですが、そのときの植田さんはためらいもなく、何かが見えているように、リズムよくキャンバスに色を描いていましたね。まるでそこにその色があるのが必然であるように、あれは本当に驚きでした。その後お話しするようになり、音や事柄が色になって見えるという特殊な感覚が植田さんにはあることを教えてくれましたね。あらためて聞きますが、それはどんな感覚ですか?

 

U:見えるというよりは、色がそこにいるという感じです。

 

T:・・・いる?

 

U:存在している・・・いるものに対して、目が合ってしまうと無視できず、向き合っているというような感覚です。

 

T:自然にいる感じですか? それとも、意識したときにいる?

 

U:いつもいる。たとえば対話描画のときだと、その方お一人お一人がお話しされる物語がありますよね。その物語に色が存在している。もう少し引いて言うと、そもそも「色が生きている」という感覚が自分の中で重要な感覚で、色たちが一つ一つの出来事や、対話描画であればその人たちの物語の中に、記憶の中、意識の中にいるという感覚です。それと目が合うので、表現している、映している。

 

T:目が合っちゃうんですね。

 

U:合っちゃいますね。

 

 

T:そうすると、その「目が合っちゃう」というときには、植田さんが何か捉えたぞという感覚もあるのでしょうか?

 

U:いつもいるので、たぶん目を合わせようとすればそれは表現になるかもしれないけれど、自分の中の判断基準として、これは世に出していいものだとか、これは表していいタイミングだと踏んだときに目を合わせる感じにしている。「目が合うと何でもかんでも描く」となると、どうしようもなくなるので。感じたあとは、もう早くて・・・あとは何も考えずに描いているという感じです。

 

T:自然とそうなるのですね。

 

U:タイミングがそうさせるというようなことがあります。その人が私に、対話描画に来てくださったタイミングがすごく重要で、いくつかの交わりが重なったときに、今だ!という瞬間があって。「そこにいる」という感覚を表現して良い、と許可が下りたような感覚で。

 

T:そういう特殊な感覚は生れながらのものですか?

 

U:えっと、逆で……。特殊だということに気付いたのがあとです。ほんと、つい最近。

 

T:そうか、他の人と違うんだということに気づいたのですね。

 

U:そう、だいぶあとです。ずっと小さい頃から、色が一緒にいるみたいな感じで、色と手を繋いだり、喧嘩したり、追いかけたり、追い回されたり……。

 

T:色に追い回される?

 

U:覆い尽くされるようなときもあって。

 

T:それは怖い? 楽しい?

 

U:・・・まぁ、日常的には欠如が出て来ますよね(笑)。この感じで外に出るのは不安だな、とか・・・なんというか、わなわなする。

 

T:先ほどの「色と目が合う感じ」というのは、色がいることを感受するということかなと思いますが、その感受が高まりすぎると追いかけられるに近い感覚になるということでしょうか?

 

U:そうですね。そういう状態が自分では危険だってわかるので。

 

T:そういう苦しくなりすぎる体験はいつ頃から?

 

U:小さな頃からありました。私はドラゴンボール世代なので、小さい頃は「自分からカメハメハが出ちゃうんじゃないか」って(笑)。なにか見えないものが出てきてしまうのを、カメハメハを溜めている感じがありました(笑)

 

T:へーなるほど(笑)!植田さんが小さい頃にパレットをもらったというエピソードを聞いたことがあるのですが、絵を描くという作業が、「出ちゃうかも」という不安を落ち着かせたという部分はありますか?

 

U:はい、だいぶ! 感動したというか。そういう制作たちを通じて、誰かが目撃してくれるから、「カメハメハを出す!」というところから、「日常になった」というか。映画や小説でも、どうしようもないときって、女の子がばーって走り出したりするじゃないですか。たぶんそういう、うぉー!みたいな感じで。でもパレットがあったら、その一つ一つを確認できるし、分解できるし、手触りとしてもう一回触わり直せるから。イメージの中だけで排出しそうなものを一個一個、「これはこう、これはこう」と触り直せるから安心しました。

 

T:触り直せる。面白い!植田さんは頭が色で満タンになるのをパレットの色で出して、色で循環させるというか。人によっては、色ではなくて言葉が頭に溢れて、それを紙に書くような作業になるかもしれないですね。

 

U:日々を生きる上で励ましになりますよね。イメージってすごく空にある感じなので、描くことで、地続きの日々とつながっているということが確認できる。全部一緒のことなのだ、と。イメージと日常と、その中間に自分がいる。

 

T:なるほど。そういう自分の感覚が人と違うと気づいたのはいつ頃だったのですか?

 

U:だいぶあとです。正式には26歳くらいです。うすうすは気付いていましたが(笑)。でも自分はいっつも本当にふつうを目指していた、ふつうになりたいって。はみ出さず、特殊なように見られないように心がけていたし、自分に言い聞かせていました。みんなのなかでは、‘ちゃんとしている’ フリをしていたかもしれない。大勢の大人の中で小さい時から育っていたから、察しが良い部分もあり・・・。

 

T:他の人たちも頭の中ではもちろん自分と同じようなプロセスで考えて言動を発していると思うから、当然、自分からあえてそのプロセスを主張することもないですしね。

 

U:ないないない!うすうす気付いてはいたものの、みんなと違う感覚だということを自分の中で受け入れた時は、だいぶ孤独に陥りました。つまりは孤独が大前提。頭ではわかっていたけれど、本当に心底受け入れられてなかった、孤独というものを受け入れることになりました。

 

T:それが、26歳?

 

 

U:そう。もうだいぶ作品を発表もしていた時期だったんですけど。でも最初の頃は、自分ではそのような違いや孤独はわかっていなかったです。よくわからず、でも、不思議なことが尽きなくて制作していました。

 

T:話は少し前後するかもしれないけど、お母さんが植田さんにパレットを渡したとき、お母さんは植田さんのそういう敏感な感覚、特殊な感じに気付いていましたか?

 

U:いや、お母さんの方が、感受性は・・・ひどいというか(笑)。

 

T:なるほど!お母さんは同じように絵を描いて出していたのでしょうか?

 

U:お母さんは絵も描くし、ピアノも弾くし。保育園の先生をしていたので、感受性全開でも、こどもたちが周りにいて、職業的にバランスよく向き合いながら出せていたのかもしれないです。お母さんの年齢がどんどん上がっても、一人、周りから「ちゃん」付けで呼ばれて、浮いているというか……。子供ながらに私が、「あの人はお母さんのああいう行動に対してこんな風に思ってたんじゃないの?!」ってお母さんに注意したこともあります。

 

T:それに対してお母さんはどう反応するの?

 

U:「お母さんは、お母さんだもん!」って(笑)。自分は自分、みたいな。お母さんは私の周りに気を遣いすぎるのを逆に気にしていました。お母さんはお仕事もして自立して、そんなお母さんが天真爛漫でいると周りの人が喜んでいるという事実を子供なりに理解していました。これは「あり」なんだ、よしとされるんだって。だからお母さんは「この子が心配だからパレットをあげる」という上から目線ではなくて、ただ、「はい」と。「こういうのもあったよ」という感じでした。山奥で生活していたけど、ピアノ、習字、そろばん、水泳と、考えられるすべての習い事をさせてくれました。

 

T:絵は?

 

U:絵だけは習わなかった。絵だけは教えられずに、自由に描いていました。習い事だけでなく、大きな小屋も与えてくれてて……。

 

T:大きな小屋?

 

U:お友だちと、みんなで使っていいと言って。2階建ての納屋のようになっていて、1階には耕運機が入っていたり、稲を干していたり。昔使っていたキッチンとかもあって、そこでおままごとして。畑から野菜をとってきて、その小屋で調理してリカちゃん人形に食べさせたりしていました。煮たり、焼いたり、土をこねたり・・・いろんな遊びをしました。

 

T:ほんとに自然の中で育ったのですね。兵庫県の山奥ってどんなところですか?

 

U:ご近所があまり隣接していない。物理的なことを言うと、最寄りの駅までは車で40分いかないとないし、バスはあるけれど一人一人車を使っている。木に囲まれていて山が多く、スキー場があって、裏にいけばすぐに森があって。神社、川、あとは田んぼですね。私のおばあちゃんがすごく働き者で、毎日4時に起きて、田んぼをするんですね。小さい頃は私はそれにずっと後ろをついていって。おばあちゃんは私用に小さな鎌をくれて、おばあちゃんの真似をして小さな鎌で草刈をして(笑)・・・。おばあちゃん、ほんとにキレイ好きで家中みんなの部屋を片付けていて、田んぼでも同じように草一本でも生えていたら嫌みたいで、一緒にずっと草むしりしていました。

 

T:先ほどお母さんの話が出たけど、お父さんはどんな人ですか?

 

U:お父さんのことは大好き。お父さんはアスリートタイプです。スキーも野球もやっていました。朝5時に起きて、仏様にお参りをして、乾布摩擦して走りに行って。すごいストイックで、毎日身体を動かしている。キャッチボールとか、運動は一緒にしていました。私が水泳は選手コースに入って週4回通い、西日本の大会に出るくらい本気でやっていたので、そういうときに、足腰の鍛え方なんかをお父さんに相談していました。貧血がひどかったので、気にしてくれていたのかも。

 

T:植田さんと運動が全然結びつかない…(笑)。

 

U:えー!めちゃくちゃしていましたよ(笑)。でも、地上の競技はできないかな(笑)。今でも慣れないと思うことがある。おじいちゃんも水泳していたし。卓球台も家にありました。

 

T:そんなお父さんをどう思ってましたか?

 

U:お父さんはあまり言葉で話したりとかしないんですよね。お父さんは私の100倍くらい気を遣いで、言葉でなにか教えてくるというよりは、お父さんの背中を見て、ずっとかっこいいなって思っていました。親戚が集まるときに、たくさん親戚の「お父さん」が来るのですが、どのお父さんもいっぱい喋っている中でうちのお父さんは全然喋らなくて・・・でも、うちのお父さんが一番かっこいい!

 

T:お父さんは寡黙だけど、自分のスタイルを持っている人なんだね。ブレないというか。

 

U:流行とかはない人ですよ。お洋服も絶対自分が気に入ったものを何十年も着るみたいな。一年中、腹巻をするとか。自分の流儀がすごすぎて(笑)、職人のような。

 

T:お父さんはやさしい人なんですね。

 

U:やさしいですね。

 

T:自分のスタイルもあって寡黙だけど、突き放しているとか厳しいとか、そういう感じじゃないんですね。

 

U:でも距離はあったかも、いい距離。大切な時に、ぐいっと引っ張られるというか。一槍刺されるというか。お父さんがそう言うなら相当だ!みたいな。おじいちゃんも厳しくて、おじいちゃんはお父さんに厳しかった姿をよく見ていました。おじいちゃんはお母さんにも厳しくて、お母さんはよく泣いていました。おじいちゃんは校長先生で、優しいけれど全身全霊で教育者みたいな人。喋り出すと長い、ご飯のときはテレビ観させてもらえない……。ずっと教育に携わって、亡くなったあとに首相から賞を頂いていました。今思うと、厳格な家だったかも。

 

T:でも、厳しくても、家の中が窮屈とか怖いとかいう雰囲気は無い感じがしますね。

 

U:全然! 超ハッピー。おじいちゃんは面白いことが大好きでお酒も大好きで。いろんなクラブやチームを作ってとにかく忙しくしていた。五十年くらい三年連用日記っていうのをつけていて、朝5時起床、何々したっていうのを毎日書いて、マメでした。多動的ですしね。

 

T:とても多面的な家族の姿を感じます。

 

U:みんな自由、マイワールド全開!(笑) あと特殊なのが、オッチャンという人がいた。

 

(第2章、オッチャンの話から。乞うご期待)