その4

光の帝国

 

過去三回に渡り、マグリットの美術の足跡を私の視点で書いてみました。マグリットの作品が持つ独特な虚しさと生々しさのバランスは、彼の人生を紐解くにつれその心の不確かさ・不安・複雑さをそのまま写しているように見え、作品への理解が深まった気がしました。
しかしその気持ちも、気がつくとほんの一瞬何か接触できたかというような刹那的な手応えにすぎない、どこか騙されたような気持ちが残ります。
この、不確かという歯がゆさが引きずる重たい感情が、今はマグリットの作品のシグネチャーのようだと感じます。なぜかというと、この「確かな不確かさ」は、彼の作品の一貫したテーマだからです。

 

 

1954年『光の帝国』

 

絶対的な昼の象徴である青空を背景に佇んでいるのは、日頃見慣れた大樹の影です。一瞬の違和感は脇に置きながら目線を大樹の下に走らせると、そこには部屋から漏れる明かりと街灯が水面に映され、夜の景色が広がっています。
どれも主張することなく質素に表現され、逆転した両極の世界を淡々と背負っています。昼夜がわかりやすく混在するこの作品の中にある大きな違和感「ねじれ」は、不確かさという違和感を生み、見ているこちら側の心を漠然と揺さぶります。
これだけ確かで見慣れたもので構成された作品でも、昼と夜の景色が同居している、たったそれだけで人の気持ちは違和感を覚えるものだとこの作品は教えてくれます。

 

 

1953年『ゴルコンダ』

 

雨粒が一旦停止したように空中に立つ大量の男性。マグリットも自分の象徴としていた山高帽をかぶっており、匿名の男性たちです。
しかしよく見ると、建物の陰からこちらを伺うような人もいたり、髭をたくわえた人もいたり、ポケットに手を入れている人もいたりと、全く同一のフィギュアではないことがわかります。
そしてその奥には広がる山脈ならぬ集合住宅。この集合住宅は、煙突や窓が途切れて隣り合う建物同士に継ぎ目が見えず、住宅とは見せかけだけのようです。
巨大なアパート群、ラッシュアワーの魚群のようなサラリーマンの流れ。この二つは両方とも、極めて匿名性が高く、また、現代社会の産物でもあります。
上昇も下降もせず等間隔で空中停止した匿名の男性たちの行く末や思わず気が滅入ってくる偽物の集合住宅について真正面から考え始めるとただただ絶望感だけが心にしみてきますが、この作品のユニークなところは、空に人がいるという突飛な発想や全体のバランス良いデザインが、共感を遮断しこちらの思考を麻痺させるところです。青空と住宅と人とが色形ともバランスよく配置され、どことなくユーモラスにさえ見えます。絶望的な状況か、ユーモラスな雰囲気に身を任せるか、心に流れが生まれないまま気持ちが二極化しそうになります。
タイトルであるゴルコンダは、16世紀から17世紀のあいだ約170年間だけインド南東部に存在した王国の名前で、その国は芸術・建造物・ダイヤモンドで栄えたそうです。
そんな刹那的なゴルコンダ王国の存在は、正誤や善悪を飛び越えるマグリットの世界観と共鳴しているように感じられ、私はたとえ理不尽でも滅びようとも今はどうなるかと案ずるなかれと説得されているような不思議な気持ちになります。
結局、説得されて鎮静する気持ちと本当にそれで良いのかという危機感がずっと同居する状況というのは、集団の中にいる宿命のような体験なのです。それをタイトル含め作品全体で何層にも渡って感じさせてくれる作品です。

 

 

この世は白々しく、確かなものなんてない、刹那的なもの。だけれどもそれは、絶妙なバランスやユーモアを伴って今目の前で確かに存在する。彼の作品からは、そんな不条理な世を生きる者の飾らない声が聞こえてくるようです。マグリットの作品の中に出てくる素材は、空・山・鳥・虫・人・住宅・・・どれもありふれていて、表現は晩年になるにつれ素朴になっていきます。
その素朴でありふれたものたちの奇妙な組み合わせが、どれ一つ自意識過剰でなく全体として不確かさや不条理さを奏でていることは、彼の表現に対する純粋さ・忠誠心・自己顕示欲の無さに通じているようです。ありふれた素朴な現実に埋もれる不条理をじっと心の目で見つめて、絵画という表現に昇華させたマグリット。彼はもしかしたら制作の際に無意識をより大きく解放しやすくするために、美術表現のために日常生活をあえて抑圧的にしていたのかもしれません。
そして自分の無意識を忠実に作品に込めた彼の美術に対する忠誠心のおかげで、私たちは自分の感情というチャンネルを用いて彼の無意識の断片とこうしてずっと繋がり続けることができるのです。

 

期せずして本稿を脱稿した8月15日はマグリットの命日でした。

 

 

 

Reference

福満葉子(2015).『もっと知りたい マグリット 生涯と作品』.東京,東京美術.

 

 

(おわり)

 

 

 

 

文 minayuzawa