ルネ・マグリット(1898-1967)

René François Ghislain Magritte 

その1 美を開く 

 

 

今、マグリットが大好きな方、またもしかしたらピンと来ていない方、はたまた嫌気がさしている方も、今日は私と一緒にマグリットの道を歩いてみませんか。

ここに書いてあることは、私の感性と経験、少しの知識などをもとにした書き物ですので、私という個体とマグリットの小道であります。

皆様は、お一人お一人の感性や経験、知識がありますので、自らの歩みを感じながらあなたお一人とマグリットの愛しい小道を開いてみてください。

 

 

私がマグリットの作品を最初に見たのはいつだったでしょう。十代の初めの頃かもしれませんが、はっきりとして記憶はないのでテレビや本で何気なく一瞬作品を見かけたのだと思います。

どこか無機質かと思うとグロテスクでショック、とはいってもダリやピカソほど強烈でもない。

それはなんとなく嘘っぽい質を感じて、不気味な印象がありました。

つまり、当時は「美しい」も「面白い」もなく不快な気持ちだけが残ったのです。

しかし30歳を過ぎたとある日ひょんなことがきっかけで行った美術館で偶然彼の作品をみていた時、マグリットは『光の帝国』という作品を通して私の無意識と有意識のちょうど真ん中のあたりにヒットするような絶妙なトーンで問いかけてきました。

 

「不快なものは、あなたにとって『美』ではないの?」

 

その声に従いドキドキしながら作品をじっくり見てみると、今まで気づかなかったたくさんのカラクリがあることに気づきました。

それは一見無機質な風合いだからこそシュールでユーモラスに見えたり、嘘っぽいからこそヴェールが剥がされるように表裏一体の世界が平等に浮き出たりするワクワクする面白さでした。

特に晩年のマグリットの作品は、純粋な問いや思いを彼なりのユーモラスで率直な表現で梱包しており、それは彼だけの表現方法で葛藤を昇華させた痕跡とも思われ、こちらの心を揺さぶります。

この頃は、地平線の彼方にある美の極地を求めて貪欲に進むようなアグレッシブさよりも心技体のバランスされたエネルギーを作品から感じ、そのものが彼の美術の極地でもあるような気がします。

 

 

つまりマグリットは、美しさとは見た目の綺麗さだけで括れず、むしろ作家の技術と見る側の感受の仕方でいかようにも無限に広がっていくことを、私に本当の意味でわかりやすく初めて体験されてくれた大切な人なのです。

 

 

(つづく 次回は私の大好きなマグリットの作品を紹介していきます)

 

 

文 minayuzawa