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A r c h i v e

▪️ Tour of  WEROAD   episode 01 ▪️ (English follows Japanese.) TOMOWAが応援している植田志保さんがこの度豊島区池袋駅の西口と東口を結ぶ『ウイ・ロード』再生事業のアートディレクターに選ばれ、2019年3月よりいよいよ現地での公開制作が始まります。     この再生事業の道のりは、豊島区という頼もしい官の力と、自らの限界を設けず常に創作活動をして生きる植田志保さんの力の化学反応の連続でした。一足進むたびに人の力や思いが吹き込まれ、今では植田さんが当初命名したとおりウイ・ロードをめぐる壮大な想念のツアーとなりました。この道のりをお伝えすることも美術・芸術にまつわる一つの共鳴を起こすきっかけになることを願いつつ、TOMOWAでも写真と文章でささやかなウイロードツアーを開催いたします。   文 minayuzawa   Episode 01: Shiho Ueda is starting her biggest and longest open work, which is a mural of WEROAD tunnel located in near Ikebukuro station from 8thMarch to October 2019, Tokyo Japan. Toshima ward chose her as art director for WEROAD rebirth project at the end of 2017, and the process of the project was such exciting like chemical reactions happen between public power of Toshima ward and her limitless vitality for fine art. At the beginning, Shiho named this project: Tour of WEROAD “10 million souls awake by ‘what colors do’”. Though the road never

ルネ・マグリット(1898-1967) René François Ghislain Magritte  その1 美を開く      今、マグリットが大好きな方、またもしかしたらピンと来ていない方、はたまた嫌気がさしている方も、今日は私と一緒にマグリットの道を歩いてみませんか。 ここに書いてあることは、私の感性と経験、少しの知識などをもとにした書き物ですので、私という個体とマグリットの小道であります。 皆様は、お一人お一人の感性や経験、知識がありますので、自らの歩みを感じながらあなたお一人とマグリットの愛しい小道を開いてみてください。     私がマグリットの作品を最初に見たのはいつだったでしょう。十代の初めの頃かもしれませんが、はっきりとして記憶はないのでテレビや本で何気なく一瞬作品を見かけたのだと思います。 どこか無機質かと思うとグロテスクでショック、とはいってもダリやピカソほど強烈でもない。 それはなんとなく嘘っぽい質を感じて、不気味な印象がありました。 つまり、当時は「美しい」も「面白い」もなく不快な気持ちだけが残ったのです。 しかし30歳を過ぎたとある日ひょんなことがきっかけで行った美術館で偶然彼の作品をみていた時、マグリットは『光の帝国』という作品を通して私の無意識と有意識のちょうど真ん中のあたりにヒットするような絶妙なトーンで問いかけてきました。   「不快なものは、あなたにとって『美』ではないの?」   その声に従いドキドキしながら作品をじっくり見てみると、今まで気づかなかったたくさんのカラクリがあることに気づきました。 それは一見無機質な風合いだからこそシュールでユーモラスに見えたり、嘘っぽいからこそヴェールが剥がされるように表裏一体の世界が平等に浮き出たりするワクワクする面白さでした。 特に晩年のマグリットの作品は、純粋な問いや思いを彼なりのユーモラスで率直な表現で梱包しており、それは彼だけの表現方法で葛藤を昇華させた痕跡とも思われ、こちらの心を揺さぶります。 この頃は、地平線の彼方にある美の極地を求めて貪欲に進むようなアグレッシブさよりも心技体のバランスされたエネルギーを作品から感じ、そのものが彼の美術の極地でもあるような気がします。     つまりマグリットは、美しさとは見た目の綺麗さだけで括れず、むしろ作家の技術と見る側の感受の仕方でいかようにも無限に広がっていくことを、私に本当の意味でわかりやすく初めて体験されてくれた大切な人なのです。     (つづく 次回は私の大好きなマグリットの作品を紹介していきます)     文 minayuzawa        

第3章 美術作家、植田志保 (第2章 オッチャンと志保さん。のつづきです) T:ではここからは一問一答のような感じで聞いてみますね。好きなというか、目標にしている人とかっていますか? U:あまり言いたくないけど。ピナ・バウシュです。 T:ピナ・バウシュ? 知らなくてごめんなさい。 U:舞踏家の方です。ドイツのコンテンポラリーのダンサー。talk to herっていう映画に出ています。 T:彼女のどこに惹かれますか? U:厳格なところ。追求するっていう姿が何にもおもねず、信じたことを生涯やりつくす生き方。 T:植田さんはずっと水彩画を描いてきていますよね。どうしていろいろある中で表現方法が水彩画なんですか? U:水が好きだから。かつ人間の体ってほとんど水でできているので、水は本当を映してくれる感じがあって、信頼できる。中と外が響き合う感じもあって、水が好きなんです。 T:素材として信頼できるっていう感覚自体がすごいですね。私たちからすると、水って垂れたり、逆に不安定で、交わったり濁ったり透けたりするし。その水に信頼があるっていうのが。 U:生きるってそういうことじゃないですか。固まったりしない。裏切られたり、蠢いたりして、全然自分でどうにかしようとしてどうにかなるものばかりではない。そういう揺らぎみたいなものが生きることとすごく通じるし、似ている。 T:人が育っていく中で水彩画って一番親しみやすい画材だと思うんだけど、そこから素材として信頼できるまでには時間がかかりました? U:全然。水彩は達成がないし、それ以外には思いつかなかった。考えたらずっと水彩だった。ずっと呼吸みたいに一緒にいられる。 T:面白い! その感覚が色が生きているとか、そういう感覚とも共通しているのかな。すべての物が平等に見えるって言ってましたね。人間だからどうとか、カエルだからどうとかではなくて、全部が自分と同じように見える。 U:はい。 T;だから色も同じように平等にあって。 U:境い目がない。 T:物だから雑にしていいとか、そういう感覚がそもそもないって言ってたんだ。 U:等しくある感じです。 T:そうするとたくさんの素材の中で水が一番仲良しなんですね。 U:比べなかった。素材として選ぼうという感じでもないし。 T:友だちみたいな感じかな。 U:はい。戻れるところ。 T:なるほど。次の質問にいきます。絵を描くときに、インスピレーションのもととなるものは? U:すべてのもの。 T:見えたもの、見えないもの、すべて? U:その違いもよくわからない。 T:感受するもの、自分の中にあるもの、すべてってことだね。 U:イメージできるものはすべて。出す出さないは出していいという許可が自分の中で出たかどうか。 T:見える見えないでいくと、記憶とかもそういうことだよね。体験した時は見えてたかもしれないけど、記憶は今現在目の前に見えるものではない。 U:そう。確かな感覚。インスピレーションするのは自由。それを許可するかどうか。 T:私たち一般の人がわからないのが、その絵を描くときの感覚なんですが、どんな感じで描いてるんでしょう。どういう気持ちで描くんだろう。楽しい気持ちで描こうとか? Uそれは一点一点枚気持ちが違う。そこにいる色と向き合って、対話しながらですかね。 T:これは本質的な話じゃないかもしれないんですが、制作って感じじゃないとすると、もしこの絵を3日で仕上げなきゃいけないという状況で、集中できないときでも描かないといけないときもありますよね? 気持ちのON、OFFとかはどうしてますか? U:集中できないってあまりない。集中するって言ったら集中する。 T:そうなんだ。そういうスイッチは、入りやすいんですね。 U:スイッチ? T:例えば小説家さんとかが文章を書くときに、余計なものに気をとられたりしないように、専用の場所を作って小説を書いたりしますよね。それでスイッチを入れて、朝からパソコンに向かうとか……。 U:それに向けて歩幅を合わせている感じかな。作家さんが作業場に行って、スイッチを入れる……? T:そう、仕事モードとか。ON、OFFとか。ONにする方法ってありますか? U:ONにする方法? T:うーん、例えば午前中は仕事の時間ですとか。志保さんがよく食べるけど、例えばかりん糖を食べると集中できるとか。 U:物理的なもの? T:うん、感覚的なものでもいいんですが。 U:いつも全開じゃないですかね。 T:そっか。絵を描いてるときがふつうで、それ以外が人と話したり事務作業をしたり、人間らしく過ごす時間みたいな感じですか? U:絵を描いてるときが本拠地。それ以外の時間が集中。外出したりするときの方がよほど、「よし、いくぞ!」感がありますね。 T:描いてるときが自然なんですね。 U:だからこの前の豊島区の記者会見の前は、描かないようにしていました。絵を描くことで誤魔化さないで、言語で伝えるぞって。絵を描いてると、片言のことばになってしまうので。記者会見場にパレット持っていくわけにもいかなかったし。 T:会話していて気づいたのは、仕事に関するONとOFFの定義自体もあまり意味がないですね(笑)。 U:小説家の方もOFFのときだけに何かを吸い上げて書いてるわけではなくて、どっかでONにしていると思いますよ。 T:なるほど。小説家でもスイッチの入れ方、入り方が植田さんタイプもいるかもしれないね。書くときがふつうで、社交するときはスイッチを入れる、スイッチON!みたいな。 U:私、スイッチだいぶ入れないと社交できないですよ。エッセイとか書かれる方はそうなんじゃないのかなと。 T:生活の中に絵を描くことが入ってるんですね。 U:どっちが先発かですよね。絵を描きに行く人、作家になりに行く人はスイッチをいれるのかな。 T:そうか! 植田さんは画家になろうと思ったことがないと言ってましたね。 U:なろうって思ったことがない。そういう島に到着したみたいな感じ。あれ、ここどこ、周りのこと知らなきゃ、みたいな。 T:面白いね。この前、ある人に聞いたんだけど、知識と教養の違いに似てるかも。知識は役に立つもの、教養はその人の人間性を高める純粋な知的欲求によって拾い集めてきたもの。役に立つ立たないで仕分けられないものが教養で、知識は役に立つって決まってるもの。画家になる、小説家になろう、医者になろう、という行為は、どちらかというと知識に入る。 U:必要な装備をすること。 T:そうそう。だけど教養から立っていって仕事になった人は、何のためにこれがあって、何の役に立ってるかわからないっていうところに立っているのかもしれない……。 U:素晴らしい! T:まったくふつうと感覚が違う。質問で一括りにできない志保さんがいる(笑)。面白いですね。次の質問に行きましょう。この1年志保さんのそばにいて、この1年でも作品の変化を感じているけど、植田さん自身はどう捉えていますか? U:変化。できないことをやりたいと思うタイプなので。できたことをずっとできて楽しいって思えるかっていうと、あまり思えない。自分が出来ていないこととか、達成できてないことがちょっとでもわかれば、そこに向かっていく。もう出来たことは興味がない。 T:出来ないことをやりたい? U:そうですね。やはり、おかげさまということで生業になっている。自分の身が千切れるくらい全力全身でいることの方が面白いと思う。そういう中で作品を作った方が愛しいから。もう撫で撫でして作る作品に自分が愛しさを覚えられなかったら、作品にもちょっと悪いというか。上から目線みたいじゃないですか、「作ったったよー」みたいな(笑)。 T:「作ったったよー」(笑)。 U:そういう出来るという瞬間もあるんですよ。 T:ちょちょいのちょい、みたいな。 U:そう。 T:出来るようになるとそうなる。 U:だから制作のときには気をつけてる。自分に甘んじないように。だから常に反省が伴う。毎日、反省会。何をしてるかって言ったら、毎日反省ですね。 T:毎日、自問自答してるんですね。 U:毎日というか、毎瞬間みたいな。瞬間瞬間で。直感で生きてきたというタイプではあるけれど、それでしかないなと。与えられたことをそのままやったら、何かのときにそのせいにしちゃう。それが物でも人でも。自分が感じたから考え抜いたから、これ!っていう自分の中の納得以上のものはないんじゃないかなと。そのためには瞬間瞬間自問自答するしかない。それ以外の方法が見当たらない。あるなら教えてほしい!(笑)。 T:(笑)。次の質問にいきます。誰もが志保さんに聞きたい質問かと思いますが、好きな色はありますか? U:好きな色……。嘘がない色! 嘘なき色。 T:嘘がない色ってどんな色? U:肌でわかる色。ちゃんと肌を通った色。肌にくる色。 T:それはわれわれに見えている色? U:あると思いますよ。意味のある色かどうか。本質のある色かどうか。この世界をどう見てるかによるかも。 T:じゃあ、ごめんね。ゲスな質問ですけど、例えばピンクとか、青とか、そういうので好きな色ってある? U:そんな一言で言い表せたら、わざわざこんなめんどくさい活動してないのかな。じゃあ、ピンクですって言ったら、それで終わりの話じゃないですか(笑)。別に描かなくてもいい(笑)。 T:正解!(笑) たしかに! U:一言では言い表せないような中間色の膨らみにすごく魅力と可能性を感じているから描いている。それを言葉だったり、作品にして、表現できれば。 T:なるほど、ちょっと見えてきた。そこに対する情熱が消えないんですね。その先端、宇宙のどこまで人間が行けるかっていうチャレンジに似ている。どこまで本質的な色に迫れるかなんだね。あくなき探究心。 U:それをどう世の中と結ぼれながら……。 T:結ぼれ! 出ました!(笑) U:(笑)。今なんかはほんとに自分の色の世界から出て、結ぼれてどこまで行けるかって感じなので。純粋に自分を磨いていくことはもちろんなんですが、そことの出会いとか行き先っていうものを自分で見つめながら生きていきたいって思ってます。 T:そうなんだね。次の質問はちょっと現実的な話ですが、池袋で今度ウイロードの再生に挑戦するんですよね。 U:はい。 T:どういう経緯で、77mもある地下道に植田さんが絵を描くことになったんですか。 U:豊島区からウイロードの再生の政策のご依頼をいただき、ウイロードに行ってみたときに、そこで場所が持つ喜怒哀楽、陰陽混合するわななくものを感じたんです。豊島区が2019年の東アジア文化都市に決定したこともあり、同時に文化の側面を捉えることにもなり、人の日常の精神的な営みすべてを文化だと思ったので、自分が今後何を遺せるかを、自分が何ができるかを考えたら、何を考え、何を愛しく考えてきたかということに尽きるという思いに至りました。私の場合は、やはり「色のすること」という描画を含め、色から学んできたすべてを使って制作したいと思った時に、直接公開制作で描画を行うことが根源的な再生ということに繋がるのではないかと思い、77mある空間に描くのはどうかとご提案させていただきました。 T:植田さんが公開制作をしようと提案したんだ。 U:私が出来ることはこういうことですという形で提案したんです。そしたら豊島区さんも賛同してくださって。 T:なるほど。ウイロードの公開制作に向けての意気込みは? U:いつでも精神がどん底のときのことを思うんです。いつも華やかで明るいものを描いてるように思われるけれど、自分が本当に小さなときに何も通じなくて孤独だったこととか、それに惑わされて不安で不安で仕方なかったこととか。そのテンションで、すごく低いところに惑わされて、もしかしたら今すぐにでも死んでしまいたいと思っている人に届くような作品を作りたいなって思いてます。どの作品でもそう思うんですが、より思いました。不安なことから、底辺の気持ちというか、そういうものが届いて欲しい。そういう気持ちがあったこと、自分の中の引っ張られ感が拭えない。ただ明るく成すため、羽ばたくためじゃなくて、底辺的な面はいつもある。 T:いつも孤独な感じがあるんですか? U:孤独というか。手放しで楽しめないというのはあって、ぐるっと回ったときにそこにいたという気持ち忘れたくない。忘れられない。そういう鬼気迫る感じが自分の中に宿されている。 T:ふむ。ではあと質問、2つ。美術作家になっていなかったら、何になっていました? U:美術作家になれてるのかな。うーん……。 T:自分の中のノックがなければ、さっき言ってたアナウンサーになっていたかな? U:なってたかも。でもそしたら、きっとどっかで崩壊してたのかも? T:(笑)。成立してなかった? U:精神とのバランスがとれなくて? 歌のお姉さんとか、何かを子供たちと一緒に作るお姉さんとか。 T:絵本作家にもなっていたかもしれないですね。 U:でもそういうのが総合してできるから美術作家をやっているんだと思う。自分の中でやりたいことが溢れていたから、周りの人が美術作家とつけてくれたんだと思う。まだ、不確か。自分が言葉に引っ張られるところがあるので。ウイロードも画家がやりますというよりも、美術作家がやりますという方が意気揚々とできて可能性があるというか。本当は出来ちゃうことをカテゴライズされて抑えちゃうというのがある。 T:ウイロードも画家としてしか活動してなかったら、こういう風にしてみましょうという提案もできなかったかもね。 U:そうだし、自分のやってきたことは何にもおもねず「色のすること」だっていうのがあったので、これだけ境目のない世の中だからやってもいいんじゃないかって。うーん、美術作家以外……。でも今もいろんな仕事ができてる。In a Flowerscapeはお花屋さんのような側面もあります。 T:では最後の質問です。絵以外の特技があったら教えてください。 U:軟体! T:軟体? U:はい。小さい時から体は柔らかくて、いつも頭と足を輪っかにしてくっつけて寝てました。 T:へー。 U:大人になったときに、その寝てるところを友だちにシェアしたら、ぎゃーって叫ばれた。キモい!って。体は柔らかいんです。あと得意なのは水泳かな。 T:今も泳いでるの? U:はい。自分を取り戻しに行ってます! T:たしかに! 水だもんね。 (あとがき) 今回、植田志保さんに初めてインタビューさせていただきました。たくさん興味深いお話を聞くことができ、植田さんの生い立ちや、家族のこと、色の原点を知ることができ、貴重な時間になりました。 また機会がありましたら、新たな植田志保さんを探すべく、インタビューにチャレンジしてみたいと思います。 最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。 TOMOWA

第2章 オッチャンと志保さん   (第1章 色のすること、家族。のつづきです)   植田志保(以下、U):オッチャンという人が家に住んでいて。オッチャンはおじいちゃんの実のお兄さんなんですけど、なんだったんだろう。今でもわからないですけど、喋ったりとか、社会的なことができない人だった。それとさらにひいおばあちゃんとも暮らしてて。   TOMOWA(以下、T):いろんな大人がいっしょに暮らしてたんですね。   U:オッチャンは大人なんだけど、正直で、子供みたいな人だった。私は小さい頃、少しずつ言葉を仕入れていくのに、おっちゃんはずっと喋れなかった。ちょっとした時間には、私はオッチャンと一緒にいる時間が多かった。下の弟は、オッチャンの説明を家族から受けたことがなくて、みんなにオッチャンと呼ばれてるのもあって、ずっと近所のおっちゃんが家に間借りしてるんだと思ってたくらいで……。   T:(笑)   U:私、家のリビングでずっとオッチャンのそばにいたんです。オッチャンが表情でいろんなことを伝えてくれるのを受け取ってた。   T:言葉にしない会話をずっとしてたんですね。   U:はい。言うのは、「ええがな」と「あかん」だけだったかな。ほかは何も喋らない。私が何をしてもだいたい「ええがな」だった。   T:(笑)。そういう言葉にならないやりとりをし続けることは、なんだかイメージを絵にするという志保さんの、美術作家としての方法と結びついているようで、オッチャンの影響は志保さんの創作には大きいかもね。   U:はい。今思うとですけどね。今の自分に何が幸いだったのかはわからない。けど、オッチャンは存在として不思議な人だったのはたしかですね。   T:話を元に戻しますが、志保ちゃんはお母さんにパレットをもらって何を描いてたんですか?   U:もちろん色を塗るというのがすごい楽しくて、永遠にやってたけど、すごく描いてたのはお姫様とか。漫画とかを見て。   T:どんな漫画?   U:毎月、りぼんとか買ってた。あと弟たちの漫画もいっぱいあったし、ドラえもんとか。だから、人間描いてましたね。   T:へー。それはそのまま? 忠実に?   U:うん、写実してました。あとは風景画とかもいっぱい描いてた。近所の風景。   T:思い出す風景とか、よく描いていた風景とかってありますか? 原風景とでもいうのかな。   U:田舎の原風景は今も無くなっていなくて、そこに存在している。アップデートしながらも、でもなんか家から見た山とか、井戸があったこととか、にわとりを飼ってたとか。家と基地の往復だった。基地はもう無くなったけど。   T:もう無いんだ。   U:基地も蔵も建て替えて新しくなってる。   T:前に中学時代に描いた絵がありましたね。校庭に雨が降って、そこに光が反射してっていう写実的な絵。   U:小学校で美術の教科書をもらって、これを描いてみましょうみたいなお題をもらうじゃないですか。それに反応して描いたのがあれでした。風景画を描きましょうという写生大会があって描いたんですよ。それで美術の成績は毎回すごくよかったです。なので、あ、わたし美術得意なのかなってそれが表彰されて新聞に載ったりしてた。あ、いいって言われてるって。   T:あのころに、同時に抽象的な絵も描いてましたね。   U:あれは自分で描いてました。   T:自然に?   U:そう。   T:植田さんのその頃には、描きたいから描いてるってだけで、抽象的とか写実的とかそんなに区別はなさそうですね。   U:はい。今も勝手にそう周りに勝手に言われているだけで、本人としては別に……。なんでそこが大事なのって思っちゃう。   T:でもああいう抽象的なものって、教わらずに出てきたとするとすごいことだなって思うんですが。何か体験したことから生まれてきたのですか?   U:それこそ、オッチャンとかを描いていたのかなと思う。いつも近くにいて、不思議、みたいな。でもちょっと魅力的だから描いちゃおみたいな。   T:オッチャンを描いてたの?     U:オッチャンそのものじゃない。わからないものに対する恐怖みたいな……。不安だけど頭にはあるものなんかを「こうかも……」と感じながら描く。   T:言葉でも説明できない、有り余る気持ちなんかを描いてたんですね。   U:ほんとに自分が美術の道に進むなんて思ってなかった。絵が好きだから、絵本作家になりたいなとか、お母さんみたいなことができたらいいなとか、ぽやんと思ってただけ。おじいちゃんには、わたしにアナウンサーになってもらいたかったみたいで、私が通ってた高校にアナウンス部があって、そこにはアナウンサーになる人も多かったから、志保ちゃんにもアナウンサーになってほしいって言われてて。だからお勉強しなきゃみたいな気持ちは強かった。優秀ではなかったけど、頑張ってました(笑)。   T:へー。絵を描くことで生きていこうと思ったのはどんなタイミングだったんだろう?   U:絵を描きたいというか、私にまとわりついているのは、“色のすること”だから、“色のすること”のためにはどうしたらいいかと常々考えていて、アナウンスすることが色のすることになるのかというふうに、一個一個外部から与えられる選択肢をそれに当てはめていった。これは色のすることに近いかな、どうかなって。自分がどうすることが色のすることになるのかをずっと考えてた。いる人のことを無視して生きていけない感じ。“色のすること”がある自分はどうしたらいいんだろうって。それをこの道順で行けるのかみたいなことをずっと自問自答してて……。進学校に行ったんですけど、めちゃめちゃ勉強したわけじゃないし。でも自分の住んでた山から2時間半かけて高校に通っていた。そこは拓けていて、いろんな人と出会えました。   T:えっ、片道? 2時間半?   U:そう。朝、5時50分のバスに乗って……。   T:高校3年間?   U:弟もそうでした。   T:へー。   U:そこですんごい楽しかったんですよ。いろんな人に出会えて、先輩もいたし。それで自分はどういう風になりたいんだとか、人をずっと観察してた。あとお洋服もすごく好きで、表現したいというか。この色とこの色が好き、みたいな。そういう組み合わせを編み出すことに尽力してた。その頃もブランド物には一切興味がなく、ヴィンテージのお店を探して、このたまらない色、このたまらない形を掘り出して、自分で作ったりするのも楽しかった。   T:縫ったりもしてたの?   U:縫ったりはできなかったから、「ここ縫って」っておばあちゃんにお願いしてました(笑)。   T:高校時代もずっと絵は描いてたの?   U:やってました。誰に見せるわけでもないけど、画用紙に水彩で描いてましたね。高校時代にお題があって、散文みたいなのを書かされて。それで“色のすること”について書いたんですよ。そしたら先生に呼び出されて。「あなたは自律神経失調症だから、病院に行った方がいい」って。   T:(笑)   U:それで、ガーンってなって(笑)。えっ、ちょっと待って、自律神経失調症? ちょっと調べます!みたいな。それで、いい先生だったけど、私、高校のときちょっと派手な感じで注意されてたりもしてたんですけど、そのときはさすがにビシッとなりましたね。あれ?本当に自律神経失調症なんだろうかって、悩みましたね。家に帰って、もう一度考えて。一側面から急に自律神経失調症とか言われて、本当にそうなのかなって、色々調べました。そこから、進路をちょうど決める時期で、指定校推薦とかあったんですけど、これは違う!って直感ですぐに思って……。美術の成績ならどこかに行けるかもって頭が働いて。   T:ふむふむ。   U:調べたら芸大とかいっぱいあって。調べて一人で電車を乗り継いで、京都造形大学に行ったんですよ。当時は、“色のすること”は空間にあると思ってたんですね。それで「空間に行かねば」と思って。   T:なるほど。それで京都造形大学の空間演出デザイン学科なんだ。   U:とにかくそこのオープンキャンパスに行かねば!と思って、大量の絵を持って行ったんです。   T:今まで好きで描いてた絵を持ってたのね。   U:初めての京都へひとり旅みたいな感じでした。それで持って行ったら、大野木先生という先生が出てきてくれて、「どうしたんだ?」みたいな感じで、「迷子か?」みたいな感じで、「大丈夫か?」って。   T:そうなるよね(笑)。この子、ほっといていいのかって(笑)   U:それでお話を4時間とか、5時間とか聞いてくれたんですよ。自分にはこういう世界があって、こういう感じで絵を描いてって忠実に話したんですよ。そしたら、まずその先生が私の話を聞いてくれたて、そのことにすごく感動して。   T:自律神経失調症とか言わずにね(笑)。   U:ちゃんと聞いてくれて。私が遠慮しがちに書いた作文より、もっと解放してしゃべってるのに、うんうんっていっぱい肯定してくれて。私、むちゃむちゃ感動して泣いたんですよ。ほんとに、わーって気持ちになって……。それで先生が「この大学においでなさい。あなた次第だけれども」って言ってくださって。受け入れてくださるような発言をしてくださって、本当に嬉しかった。   T:うんうん。     U:お父さんもお母さんも美術の方面、芸大に行かすつもりとかも更々無かったので、そこは親の意向は無視でした。自分で願書取り寄せて、絶対ここに行く、行かねばならぬって。それで推薦を受けて、試験を受ける前に、デッサンをしないといけないことがわかって。それで推薦を受ける間際に、デッサンを習うところに駆け込みで入って(笑)。そこは受かってからも通いましたね。そこは熊を描きなさいとかあって、そのとき熊を一番魅力的に描くには真正面だ!と思って描いてたら、それは構図として間違ってるって。   T:注意を受けたのね(笑)。   U:(笑)。それでもなんとかやって、芸大に入って行った。でも、それからも大変だった。   T:家族は、志保さんの美的な感覚って大学に入った後も認めてくれるって感じにはならなかったの? 受験の時は家族と志保ちゃんの間に美術に関して温度差があったみたいだけど。   U:大学に入ったら応援してくれました、、、本当に。京都造形大学に入って、京都に引っ越しをし、一人暮らし。お父さんが兵庫から来てくれて、ベッドを組み立ててくれたり。私が部屋の床が気に入らない、気に入らなすぎてどうしたらいいの! って私が騒いでたら、お父さんからメールが来て、「週末、そちらに行きます」って(笑)。こういう木のやつにしたいって言ったら、お父さんそんな仕事でもないしやったこともないのに、一緒にホームセンター行ってくれて。それで床材を買って来て、のこぎりで全部切ってくれて。   T:めちゃくちゃ応援してる!   U:この子が何をやろうとしているかはわからないけど、その瞬間瞬間では応援してくれてるみたいな。   T:そうだねー。わからないなりに一生懸命寄り添って、応援はしてくれてたんだね。   U:はい。   T:家族には、志保さんのやりたいことは「色のすること」なんだって説明はしてたの?   U:言葉ではちゃんとできていないかも。でも自分の中では、それをせねば!と。他に選択肢がなかった。   T:家族が植田さんのしたいことを知ったときはどんな反応だったのだろう?   U:きょとん(笑)。そっかーって。でも誰も有無を言わせないくらい、それ以外のことをやるなら死んでしまうくらいだったんだと思います、、、。   T:そこで初めて、察しのいい子、周りが提供してくれているものから、反抗というか自立をしたんだね。そうすると「色のすること」という概念は、今はワークになってるけど、一貫はしてるんですね、昔から。   U:色がいる! それがどうしようもないことなので。それを表現してく過程、自分のやっていることが作品となっていることとか、人に伝えられなさとか、いろんな摩擦とか……。今思えば、10代はよく生きてたなって。人によく誤解もされてた。あまりに伝わってなかった。   T:こちらで質問を用意してて、「いつから絵で生きていこう、職業にしていこうと思ったのですか」って聞こうと思ったけど、あまり意味がないね(笑)。   U:まだ、絵なのかっていうのも。   T:そうですね。   U:まだ不確か。でもそういう、ひかってひかってみたいなものを作品として出すと、誰かが喜んでいてくれて。それが原動力。あまり自分のためには頑張れないけど、人のためには頑張れる。今のウイロードもそうですけど。誰から喜んでくれるからすごく頑張れる。   T:結果として創作活動として生活できている。成り立たせようとしているのではなくてね。なるほど。   U:食べていくというのと逆で、そこにあるから営みとしてやってしまうというか。営みの繰り返しで作品になっていって。それが仕事になった瞬間にすごく考えたんです。本当にこれはどういうことなんだろうって。それってすごい責任があることだなって思って。その理由を突き詰めないといけないと思った時期が何年かごとにやってきて。自分の制作の方が先に行ってるから、その意味や理由ってあとあと自分が追いかけて理解するような感じでした。なんだかわからないけど、これを作ってしまったみたいな。なんで命がけであんなものを制作してたんだろうって、意味を考えたり。それは後から自分が追いかけてその意味を知る、みたいな感じでした。これが何で仕事になるのだろうかって考えたときに、自分がわかったのは継承されている何かがあるんだろうっていうのが一つあって。それって自分が生まれて何年かとかの出来事ではなくって、ご先祖様とか先祖代々があって自分に今託されているものがあるって感じてて。これが仕事になっているのは、自分の行いを良しとしてくださった人がいるから成り立っている。それはすごいこと。そういう自分の色と世の中が交錯するあんばいを考えてきた。食べていけていることについて、その行き先と世に出すもの一つ一つを責任を持って見極めていかねばならぬと。どんどん後から自分の作品を作る心構えとか、強度とか。   T:なるほど。   (第3章へつづく)

第1章 色のすること、家族。   TOMOWA(以下、T):あらためて、今回は、TOMOWAと一緒にお仕事していただくことになり、ありがとうございます。   植田志保(以下、U):ありがとうございます。   T:TOMOWAとしては、植田志保さんがもっと羽ばたくお手伝いができればといいなと。そしてお互いやりたいことを素直にまっすぐやっていければと思っています。   U:こちらこそよろしくお願いします。   T: 植田さんは長らく、色のすることと題して、創作活動をされています。わたしも対話描画In a Flowerscape で、自分の好きなことば、花の名前をもとに、その場で植田さんに絵を描いてもらったのですが、そのときの植田さんはためらいもなく、何かが見えているように、リズムよくキャンバスに色を描いていましたね。まるでそこにその色があるのが必然であるように、あれは本当に驚きでした。その後お話しするようになり、音や事柄が色になって見えるという特殊な感覚が植田さんにはあることを教えてくれましたね。あらためて聞きますが、それはどんな感覚ですか?   U:見えるというよりは、色がそこにいるという感じです。   T:・・・いる?   U:存在している・・・いるものに対して、目が合ってしまうと無視できず、向き合っているというような感覚です。   T:自然にいる感じですか? それとも、意識したときにいる?   U:いつもいる。たとえば対話描画のときだと、その方お一人お一人がお話しされる物語がありますよね。その物語に色が存在している。もう少し引いて言うと、そもそも「色が生きている」という感覚が自分の中で重要な感覚で、色たちが一つ一つの出来事や、対話描画であればその人たちの物語の中に、記憶の中、意識の中にいるという感覚です。それと目が合うので、表現している、映している。   T:目が合っちゃうんですね。   U:合っちゃいますね。     T:そうすると、その「目が合っちゃう」というときには、植田さんが何か捉えたぞという感覚もあるのでしょうか?   U:いつもいるので、たぶん目を合わせようとすればそれは表現になるかもしれないけれど、自分の中の判断基準として、これは世に出していいものだとか、これは表していいタイミングだと踏んだときに目を合わせる感じにしている。「目が合うと何でもかんでも描く」となると、どうしようもなくなるので。感じたあとは、もう早くて・・・あとは何も考えずに描いているという感じです。   T:自然とそうなるのですね。   U:タイミングがそうさせるというようなことがあります。その人が私に、対話描画に来てくださったタイミングがすごく重要で、いくつかの交わりが重なったときに、今だ!という瞬間があって。「そこにいる」という感覚を表現して良い、と許可が下りたような感覚で。   T:そういう特殊な感覚は生れながらのものですか?   U:えっと、逆で……。特殊だということに気付いたのがあとです。ほんと、つい最近。   T:そうか、他の人と違うんだということに気づいたのですね。   U:そう、だいぶあとです。ずっと小さい頃から、色が一緒にいるみたいな感じで、色と手を繋いだり、喧嘩したり、追いかけたり、追い回されたり……。   T:色に追い回される?   U:覆い尽くされるようなときもあって。   T:それは怖い? 楽しい?   U:・・・まぁ、日常的には欠如が出て来ますよね(笑)。この感じで外に出るのは不安だな、とか・・・なんというか、わなわなする。   T:先ほどの「色と目が合う感じ」というのは、色がいることを感受するということかなと思いますが、その感受が高まりすぎると追いかけられるに近い感覚になるということでしょうか?   U:そうですね。そういう状態が自分では危険だってわかるので。   T:そういう苦しくなりすぎる体験はいつ頃から?   U:小さな頃からありました。私はドラゴンボール世代なので、小さい頃は「自分からカメハメハが出ちゃうんじゃないか」って(笑)。なにか見えないものが出てきてしまうのを、カメハメハを溜めている感じがありました(笑)   T:へーなるほど(笑)!植田さんが小さい頃にパレットをもらったというエピソードを聞いたことがあるのですが、絵を描くという作業が、「出ちゃうかも」という不安を落ち着かせたという部分はありますか?   U:はい、だいぶ! 感動したというか。そういう制作たちを通じて、誰かが目撃してくれるから、「カメハメハを出す!」というところから、「日常になった」というか。映画や小説でも、どうしようもないときって、女の子がばーって走り出したりするじゃないですか。たぶんそういう、うぉー!みたいな感じで。でもパレットがあったら、その一つ一つを確認できるし、分解できるし、手触りとしてもう一回触わり直せるから。イメージの中だけで排出しそうなものを一個一個、「これはこう、これはこう」と触り直せるから安心しました。   T:触り直せる。面白い!植田さんは頭が色で満タンになるのをパレットの色で出して、色で循環させるというか。人によっては、色ではなくて言葉が頭に溢れて、それを紙に書くような作業になるかもしれないですね。   U:日々を生きる上で励ましになりますよね。イメージってすごく空にある感じなので、描くことで、地続きの日々とつながっているということが確認できる。全部一緒のことなのだ、と。イメージと日常と、その中間に自分がいる。   T:なるほど。そういう自分の感覚が人と違うと気づいたのはいつ頃だったのですか?   U:だいぶあとです。正式には26歳くらいです。うすうすは気付いていましたが(笑)。でも自分はいっつも本当にふつうを目指していた、ふつうになりたいって。はみ出さず、特殊なように見られないように心がけていたし、自分に言い聞かせていました。みんなのなかでは、‘ちゃんとしている’ フリをしていたかもしれない。大勢の大人の中で小さい時から育っていたから、察しが良い部分もあり・・・。   T:他の人たちも頭の中ではもちろん自分と同じようなプロセスで考えて言動を発していると思うから、当然、自分からあえてそのプロセスを主張することもないですしね。   U:ないないない!うすうす気付いてはいたものの、みんなと違う感覚だということを自分の中で受け入れた時は、だいぶ孤独に陥りました。つまりは孤独が大前提。頭ではわかっていたけれど、本当に心底受け入れられてなかった、孤独というものを受け入れることになりました。   T:それが、26歳?     U:そう。もうだいぶ作品を発表もしていた時期だったんですけど。でも最初の頃は、自分ではそのような違いや孤独はわかっていなかったです。よくわからず、でも、不思議なことが尽きなくて制作していました。   T:話は少し前後するかもしれないけど、お母さんが植田さんにパレットを渡したとき、お母さんは植田さんのそういう敏感な感覚、特殊な感じに気付いていましたか?   U:いや、お母さんの方が、感受性は・・・ひどいというか(笑)。   T:なるほど!お母さんは同じように絵を描いて出していたのでしょうか?   U:お母さんは絵も描くし、ピアノも弾くし。保育園の先生をしていたので、感受性全開でも、こどもたちが周りにいて、職業的にバランスよく向き合いながら出せていたのかもしれないです。お母さんの年齢がどんどん上がっても、一人、周りから「ちゃん」付けで呼ばれて、浮いているというか……。子供ながらに私が、「あの人はお母さんのああいう行動に対してこんな風に思ってたんじゃないの?!」ってお母さんに注意したこともあります。   T:それに対してお母さんはどう反応するの?   U:「お母さんは、お母さんだもん!」って(笑)。自分は自分、みたいな。お母さんは私の周りに気を遣いすぎるのを逆に気にしていました。お母さんはお仕事もして自立して、そんなお母さんが天真爛漫でいると周りの人が喜んでいるという事実を子供なりに理解していました。これは「あり」なんだ、よしとされるんだって。だからお母さんは「この子が心配だからパレットをあげる」という上から目線ではなくて、ただ、「はい」と。「こういうのもあったよ」という感じでした。山奥で生活していたけど、ピアノ、習字、そろばん、水泳と、考えられるすべての習い事をさせてくれました。   T:絵は?   U:絵だけは習わなかった。絵だけは教えられずに、自由に描いていました。習い事だけでなく、大きな小屋も与えてくれてて……。   T:大きな小屋?   U:お友だちと、みんなで使っていいと言って。2階建ての納屋のようになっていて、1階には耕運機が入っていたり、稲を干していたり。昔使っていたキッチンとかもあって、そこでおままごとして。畑から野菜をとってきて、その小屋で調理してリカちゃん人形に食べさせたりしていました。煮たり、焼いたり、土をこねたり・・・いろんな遊びをしました。   T:ほんとに自然の中で育ったのですね。兵庫県の山奥ってどんなところですか?   U:ご近所があまり隣接していない。物理的なことを言うと、最寄りの駅までは車で40分いかないとないし、バスはあるけれど一人一人車を使っている。木に囲まれていて山が多く、スキー場があって、裏にいけばすぐに森があって。神社、川、あとは田んぼですね。私のおばあちゃんがすごく働き者で、毎日4時に起きて、田んぼをするんですね。小さい頃は私はそれにずっと後ろをついていって。おばあちゃんは私用に小さな鎌をくれて、おばあちゃんの真似をして小さな鎌で草刈をして(笑)・・・。おばあちゃん、ほんとにキレイ好きで家中みんなの部屋を片付けていて、田んぼでも同じように草一本でも生えていたら嫌みたいで、一緒にずっと草むしりしていました。   T:先ほどお母さんの話が出たけど、お父さんはどんな人ですか?   U:お父さんのことは大好き。お父さんはアスリートタイプです。スキーも野球もやっていました。朝5時に起きて、仏様にお参りをして、乾布摩擦して走りに行って。すごいストイックで、毎日身体を動かしている。キャッチボールとか、運動は一緒にしていました。私が水泳は選手コースに入って週4回通い、西日本の大会に出るくらい本気でやっていたので、そういうときに、足腰の鍛え方なんかをお父さんに相談していました。貧血がひどかったので、気にしてくれていたのかも。   T:植田さんと運動が全然結びつかない…(笑)。   U:えー!めちゃくちゃしていましたよ(笑)。でも、地上の競技はできないかな(笑)。今でも慣れないと思うことがある。おじいちゃんも水泳していたし。卓球台も家にありました。   T:そんなお父さんをどう思ってましたか?   U:お父さんはあまり言葉で話したりとかしないんですよね。お父さんは私の100倍くらい気を遣いで、言葉でなにか教えてくるというよりは、お父さんの背中を見て、ずっとかっこいいなって思っていました。親戚が集まるときに、たくさん親戚の「お父さん」が来るのですが、どのお父さんもいっぱい喋っている中でうちのお父さんは全然喋らなくて・・・でも、うちのお父さんが一番かっこいい!   T:お父さんは寡黙だけど、自分のスタイルを持っている人なんだね。ブレないというか。   U:流行とかはない人ですよ。お洋服も絶対自分が気に入ったものを何十年も着るみたいな。一年中、腹巻をするとか。自分の流儀がすごすぎて(笑)、職人のような。   T:お父さんはやさしい人なんですね。   U:やさしいですね。   T:自分のスタイルもあって寡黙だけど、突き放しているとか厳しいとか、そういう感じじゃないんですね。   U:でも距離はあったかも、いい距離。大切な時に、ぐいっと引っ張られるというか。一槍刺されるというか。お父さんがそう言うなら相当だ!みたいな。おじいちゃんも厳しくて、おじいちゃんはお父さんに厳しかった姿をよく見ていました。おじいちゃんはお母さんにも厳しくて、お母さんはよく泣いていました。おじいちゃんは校長先生で、優しいけれど全身全霊で教育者みたいな人。喋り出すと長い、ご飯のときはテレビ観させてもらえない……。ずっと教育に携わって、亡くなったあとに首相から賞を頂いていました。今思うと、厳格な家だったかも。   T:でも、厳しくても、家の中が窮屈とか怖いとかいう雰囲気は無い感じがしますね。   U:全然! 超ハッピー。おじいちゃんは面白いことが大好きでお酒も大好きで。いろんなクラブやチームを作ってとにかく忙しくしていた。五十年くらい三年連用日記っていうのをつけていて、朝5時起床、何々したっていうのを毎日書いて、マメでした。多動的ですしね。   T:とても多面的な家族の姿を感じます。   U:みんな自由、マイワールド全開!(笑) あと特殊なのが、オッチャンという人がいた。   (第2章、オッチャンの話から。乞うご期待)